2019年2月16日 地獄に仏
あれから何時間が経過しただろう?尿カテーテルのせいでおしっこが漏れそうな感覚は常時続いている上に、身動き1つできずに極度の腰痛に耐えながら、ようやく外が明るくなってきた。
6:00 「おはようございます」という声がして誰かが来た。誰だ??
医者キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!。主治医が来た。
「あなたが神ですか?」
・・・とにかく、医者ならこの状況をなんとかしてくれる、そう思った。なにしろ、看護婦には体中に取り付けられた機器を外す権限がないし、自分で外しちゃうと体を拘束されてしまうわけであるから、医者が来るのを待つしかないわけで。まさに地獄で仏を見た気分。
すると、「今からレントゲンを撮ります」と言う。レントゲン?って事は、
今からレントゲン室に行く → その前に尿カテーテルを外す → 常時おしっこが漏れそうな感覚がこれで終わる
やったー!!と思ったら、医者が用意してきたのはポータブルレントゲン。スキャナーみたいなのを上から当てるだけ。世の中便利なものができたもんだね・・・って、できちゃ困る。じゃあ、この尿カテーテルはこの後もずっとつけたままなわけ??
そしたら、医者が「じゃあ、酸素マスクはもういいや。整体モニターももういいでしょう。あと、血圧計も外しちゃってくれる?」と看護婦に指示してから帰っていった。
なので、尿カテーテルは外せなかったものの、少なくとも酸素マスクと指の洗濯バサミ、それに1時間毎に膨らむあのいまいましい血圧計も外された。これだけでも全然マシ。とにかく、口のマスクが蒸れてて気持ち悪かったし、指の洗濯バサミがすごいストレスだったからな。やっぱり医者は神か仏だった。
10:00 もう1回医者が来て、今日の予定を言った。「今から、尿カテーテルを外しますので、この後なるべく病院内を歩いてください。最初は痛いでしょうけど、がんばってください」と言う。
って事は、つまり・・・
やったー、尿カテーテルが外れるぞ!!!もう、岩崎恭子じゃないけど「今まで生きてて一番嬉しい」瞬間がまさにこの時だった。
それに、尿カテーテルを外してくれるのが男の医者で良かった。一昨日の剃毛の時は看護婦に見られちゃったけど、普段はフィジカルプロテクト(?)されてて中身(?)までは見られなかったのが不幸中の幸いだったからな。もっとも、看護婦ならそんなモンとっくに見慣れてるんでしょうけど・・・。
「じゃあ尿カテーテル抜きますよ。少しガマンしてください」って言うので、ぐっと痛みに備えたら、医者は一気にカテーテルを引き抜いた。ううむ、変な感覚だ。どういう感覚って言えばいいんだろう?例えるなら、幼稚園の頃おしっこを限界までガマンしてて、ついに漏れてしまった時のようなあの感じだな。
そんな事はともかく、急いでトイレに行った。いや、どうせカテーテルで強制排泄されてたから何も出ないんだけど、そんな事はどうでもいい。一滴でもいいからとにかく自力でおしっこがしたかった。それでようやく、常時続いたおしっこが常に漏れそうな感覚を終わりにできる。
とにかく、昨日手術が終わったのが午後五時。それから、身動き1つできずストレスでいっぱいの状態に必死に堪えていた状態がようやく終わった。時間にして17時間か。今までの人生の中で最も長かった17時間だった。
しかし、今回は17時間で終わったからいいけど、これで歳を取ってからガンが見つかって手術したら、おそらく17時間じゃ済まないだろうなぁ。最悪、死ぬまでこのストレス状態が続いたまま、そのまま死んでしまうのではなかろうか?
なるほど、母は最後、いつ死んでもおかしくないぐらいガンが悪化していてとても帰宅できる状態じゃなかったのに、それでも母が帰らせろ、帰らせろと言って俺を困らせたのはそういう事だったのか。たしかに、尿カテーテルを入れられて身動き一つできない状態で死を迎えるのは嫌だな。
かといって、検索すると自宅で死なれると俺が警察から長時間に渡って厳しい取り調べを受ける事になるみたいだし、生前母とはよくケンカしてたから警察は真っ先に俺を疑うだろう。「お前が殺しんたんだ!吐け!吐け!」とか言われてたかもしれん。そんな状況で母に家で死なれるわけにもいかなかったのですよ。
こういうの、なんとかなりませんかねぇ。事前に「いつ病死してもおかしくない状態だとわかった上で自宅で死にます」と警察に連絡しておいて、それで自宅で死んでも警察から犯人扱いされずに済む、みたいな。だって医者に聞けば、放っておいてももうすぐ死ぬ(あえて罪を犯してまで殺すわけがない)って事ぐらいすぐわかるはずだもん。それで犯人扱いはおかしいと思う。なんか、今の警察のやり方だと、実質病院以外じゃ死ねないような状況じゃない。
6:00 「おはようございます」という声がして誰かが来た。誰だ??
医者キタ━━━━(゜∀゜)━━━━!!。主治医が来た。
「あなたが神ですか?」
・・・とにかく、医者ならこの状況をなんとかしてくれる、そう思った。なにしろ、看護婦には体中に取り付けられた機器を外す権限がないし、自分で外しちゃうと体を拘束されてしまうわけであるから、医者が来るのを待つしかないわけで。まさに地獄で仏を見た気分。
すると、「今からレントゲンを撮ります」と言う。レントゲン?って事は、
今からレントゲン室に行く → その前に尿カテーテルを外す → 常時おしっこが漏れそうな感覚がこれで終わる
やったー!!と思ったら、医者が用意してきたのはポータブルレントゲン。スキャナーみたいなのを上から当てるだけ。世の中便利なものができたもんだね・・・って、できちゃ困る。じゃあ、この尿カテーテルはこの後もずっとつけたままなわけ??
そしたら、医者が「じゃあ、酸素マスクはもういいや。整体モニターももういいでしょう。あと、血圧計も外しちゃってくれる?」と看護婦に指示してから帰っていった。
なので、尿カテーテルは外せなかったものの、少なくとも酸素マスクと指の洗濯バサミ、それに1時間毎に膨らむあのいまいましい血圧計も外された。これだけでも全然マシ。とにかく、口のマスクが蒸れてて気持ち悪かったし、指の洗濯バサミがすごいストレスだったからな。やっぱり医者は神か仏だった。
10:00 もう1回医者が来て、今日の予定を言った。「今から、尿カテーテルを外しますので、この後なるべく病院内を歩いてください。最初は痛いでしょうけど、がんばってください」と言う。
って事は、つまり・・・
やったー、尿カテーテルが外れるぞ!!!もう、岩崎恭子じゃないけど「今まで生きてて一番嬉しい」瞬間がまさにこの時だった。
それに、尿カテーテルを外してくれるのが男の医者で良かった。一昨日の剃毛の時は看護婦に見られちゃったけど、普段はフィジカルプロテクト(?)されてて中身(?)までは見られなかったのが不幸中の幸いだったからな。もっとも、看護婦ならそんなモンとっくに見慣れてるんでしょうけど・・・。
「じゃあ尿カテーテル抜きますよ。少しガマンしてください」って言うので、ぐっと痛みに備えたら、医者は一気にカテーテルを引き抜いた。ううむ、変な感覚だ。どういう感覚って言えばいいんだろう?例えるなら、幼稚園の頃おしっこを限界までガマンしてて、ついに漏れてしまった時のようなあの感じだな。
そんな事はともかく、急いでトイレに行った。いや、どうせカテーテルで強制排泄されてたから何も出ないんだけど、そんな事はどうでもいい。一滴でもいいからとにかく自力でおしっこがしたかった。それでようやく、常時続いたおしっこが常に漏れそうな感覚を終わりにできる。
とにかく、昨日手術が終わったのが午後五時。それから、身動き1つできずストレスでいっぱいの状態に必死に堪えていた状態がようやく終わった。時間にして17時間か。今までの人生の中で最も長かった17時間だった。
しかし、今回は17時間で終わったからいいけど、これで歳を取ってからガンが見つかって手術したら、おそらく17時間じゃ済まないだろうなぁ。最悪、死ぬまでこのストレス状態が続いたまま、そのまま死んでしまうのではなかろうか?
なるほど、母は最後、いつ死んでもおかしくないぐらいガンが悪化していてとても帰宅できる状態じゃなかったのに、それでも母が帰らせろ、帰らせろと言って俺を困らせたのはそういう事だったのか。たしかに、尿カテーテルを入れられて身動き一つできない状態で死を迎えるのは嫌だな。
かといって、検索すると自宅で死なれると俺が警察から長時間に渡って厳しい取り調べを受ける事になるみたいだし、生前母とはよくケンカしてたから警察は真っ先に俺を疑うだろう。「お前が殺しんたんだ!吐け!吐け!」とか言われてたかもしれん。そんな状況で母に家で死なれるわけにもいかなかったのですよ。
こういうの、なんとかなりませんかねぇ。事前に「いつ病死してもおかしくない状態だとわかった上で自宅で死にます」と警察に連絡しておいて、それで自宅で死んでも警察から犯人扱いされずに済む、みたいな。だって医者に聞けば、放っておいてももうすぐ死ぬ(あえて罪を犯してまで殺すわけがない)って事ぐらいすぐわかるはずだもん。それで犯人扱いはおかしいと思う。なんか、今の警察のやり方だと、実質病院以外じゃ死ねないような状況じゃない。
2019年2月15日 手術後の長い夜
一夜明けて、入院2日目。今日はいよいよ手術の日。
10:00に看護婦が来て、浣腸をすると言う。処置室に行く。しかし、今日はお尻を出すだけなので、前は見られずに済むから良い。
「浣腸はやった事ありますか?」と言うので、「ありませんよ、ノンケだし」とかぶつぶつ言うと「え?」と言うので「いや、こっちの話」と言った。
その後、浣腸される。ただでさえ昨日下剤を飲んでるので、お腹は一気に下って極度の腹痛。しかし、ちゃんと処置室には様式便器がついている。いそいで様式便器に座ってお腹のものを一気に出した。なんかスッキリした。
11:00に担当医が来て、今から手術の説明をすると言うので、ナースステーションの特設テーブルに行った。
今回の手術は腹腔鏡手術による、胆嚢切除手術。おへそからカメラを入れて、カテーテルによる遠隔操作でモニターを見ながら胆管をくっつけた後、胆嚢を切除するという。
ただし、1万人に1人の確率で肝臓から胆嚢にバイパス管が伸びてる場合があって、その場合、腹腔鏡ではどうにもならないので、腹を切開する場合がある、との事。また、人によっては思わぬ場所に血管があって、それを切ってしまう場合があるので、その場合は切開して止血した後、血液製剤を使うという話だった。
とにかく、自分の体がもし一般的な人の構造と違っていたら、腹を切られてしまうっていう事だな。
12:00に手術着に着替えてくださいと言うので、例のアマゾンで買った手術着を着た。
13:00 手術室に入った。背中にとっても痛い注射をされた。これは、背中に痛み止めの管を入れるための麻酔なんだそうで、麻酔をするための針が痛いとはこまったもんだ。その後、背中に管を入れたが、これは麻酔が聞いてたおかげで痛くなかった。
その後、麻酔を入れますという声がした・・・
途端に、腹に激痛が走った。看護婦の「終わりましたよ」という声が聞こえた。見ると、いつの間にか手術室は出ており、自分の病室にいた。
隣で、ものすごいケンカする声が聞こえてきた。頼む、今だけはケンカはやめてくれ。今はほんの少しのストレスで、傷がとっても痛む。
あまりの痛さに耐えかねてナースコールのボタンを押した。スピーカーから「どうしました?」って聞こえてきたが、痛くて声が出せない。すると看護婦が来て「どうしました?」と聞くので、泣き声で「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い」って連呼した。すると「痛いですよねー」と言う。まったく他人事だと思って・・・。
しかし、この「痛い痛い」が聞こえたのか、隣のケンカは収まった。
少しして、他の看護婦が来て「夜の担当の◯◯です」と言う。えー、看護婦の引き継ぎって午後五時でしょ?麻酔で眠る前はたしか午後1時だったはず。えー、手術4時間もかかったの??
前にGoogleで検索したら、胆嚢切除手術は2時間?2時間半と書いてあったので、てっきり今は3時から4時だと思っていたのに、5時とは。そもそも、腹腔鏡手術は患者の負担が軽いという話だったのに、この激痛は一体なんだ。
そういえば、前に1万人に1人の確率で予期せぬ事態に陥る場合があって、その場合はお腹を切開するとか言ってたぞ。って事は、腹腔鏡ではどうにもならず、結局切開されてしまった、そのために手術に時間がかかった・・・と見るのが自然だろう。
??時 少し痛みがマシになってきたので、状況を整理してみる。
・右手の人指し指には整体モニターの端末がついてて、ずっと洗濯バサミで指を挟まれている感じがする。
・足は、エコノミークラス症候群防止の靴下を履かされていて、これがけっこうキツい。
・左腕には血圧計がつけられており、定期的に膨らむのだが、これがけっこう痛い。
・口には酸素マスクがつけられている。
・股間には尿カテーテルがつけられており、パイプが短くて身動き1つできないし、寝返りもうてない。
おまけに、今何時なのかもサッパリわからないし、そもそも身動き1つできないので時計を出す事もできない。困った・・・。
左手がかろうじて自由に動かせるようなので、左手でなんとか引き出しを開けてスマホを取り出してみる。なんとかスマホを出すことに成功。これで時間が確認できる。今は深夜の3時ぐらいだろうか・・・
と思って時計を見たが、まだ夜の0:38だった。って事は、この状態を少なくともあと10時間は耐えないといけないという事か。
なんとか、右手の洗濯バサミを外してみるが、途端に「ピロリン ピロリン ピロリン ピロリン」って音がして看護婦が飛んできて、洗濯バサミを挟まれてしまった。どうやらこれを外すと生体モニターが異常を報告するみたいだ。なので、これは外すとバレる。
尿カテーテルは自分じゃ絶対外せないだろう。というか、手術前の説明で、「自分で機器を外すような事があった場合は、腕を拘束させていただきます」って言ってた。
父が最後に入院した時は、既に認知症が悪化していて自分がなぜ点滴や尿カテーテルをつけられているのか理解できず、何度ダメと言っても自分で外そうとしてしまう。病院側も仕方がないので、腕を拘束したのだが、それでも父が「これを取ってくれ取ってくれ」と言うので、涙が止まらくなった。
という事があったので、尿カテーテルを自分で外す事はできない。ただでさえストレスがたまる状況なのに、その上腕を拘束されたら狂い死ぬかもしれん。
しかし問題なのはこの腰の痛みだ。ずっと真上を向いた状態から身動きできないから、持病の腰痛が悪化して腰が痛くて死にそうだ。しかし、寝返りも打てない。困った。
仕方がないのでナースコールを押して「向き変えたい」と言ったら、なんとか体の向きを右向きにしてもらえた・・・が、それはそれで切開した腹に響いて痛い。これだと腰痛の方がマシなので、自分で上向きに戻してしまった。
さらに問題なのが膀胱の違和感だ。常時おしっこが漏れそうな感覚に襲われている。またナースコールを押して、「おしっこ漏れそうなんですけど」と言うと、「大丈夫ですよ。ちゃんと尿は出てますから」と言う。では、この常時おしっこが漏れそうな感覚は一体何だ?
あと、普段たと仕事中に大しておしっこしたくなくても、トイレに言って一息ついたりするし、トイレでおしっこをする事そのものがある程度気晴らしになるんだけど、今はそれすらできない。おしっこができない。尿はカテーテルで強制的に出されてしまう。
とにかく、なんとかして寝ないと、この長い夜を乗り越える事はできない。どうにかして寝る事はできないだろうか?
しかし、今の違和感は半端ではない。指には洗濯バサミ、足にはキツい靴下、腕には定期的に膨らむ血圧計、膀胱は常におしっこしたい感覚、口には蒸れて熱い酸素マスク・・・とにかく最悪だ。こんな最悪な状況、これまで生きてて一度も体験した事ない。
とにかく、もう金輪際手術はしない事を誓った・・・んだけど、じゃあもしこの後ガンになったらどうするの?って思った。母は病院の検査から逃げ回っていたせいで、ガンが発覚した時は既に全身に転移していて手遅れになり、結果、耐え難い痛みに耐えながら血を吐いて死んだ。なので、ガンになったら手遅れになる前に手術を受けるしかないのだ。
01:30 スマホを見るとまだ1時半だ。一体尿カテーテルを外せて体の向きを変えられるまで、あと何時間この拷問に耐えないといけないのか。
しかし、人が死ぬ時ってどんな感じなんだろうか?両親ともに、死んだ時は尿カテーテル入れられたまま、点滴をつけられたまま、身動きできない状態で死んだ。病院で死ぬって事はつまり、この状態で死ぬまで開放されないまま死ぬって事だよなぁ。自分も人生の終わりにはこの体験をしないといけないのだろうか?
などと考えていたら、いつの間にか寝てしまった・・・が、電車の中で失禁する夢を見て慌てて飛び起きた。しまった、おねしょしてしまった??
・・・わけない。そもそも、今の状態でおねしょなんてできない。尿はカテーテルで勝手に出ていくんだからな。しかし、おしっこが漏れそうな感覚は常時続いたままなので、この後何度寝てもまた失禁する夢しか見ないだろう。
なんか、突然松山千春の「長い夜」が頭に浮かんだ。「♪恋に揺れる心ひとつ」最後まで歌を思い出した後、もう1回最初に戻ってまた同じ歌を思い浮かべる。これでなんとか時間を凌ごう。
時計を見ると・・・まだ3時だ。一体いつになったら夜が明けるのだろうか?
とその時、口から酸素マスクが外れた。なんだ、これ取れるのか。ならば取ってしまおう。蒸れた酸素マスクの違和感がなくなれば、状況はかなりマシになる。
ところが、すぐに看護婦が飛んできて酸素マスクつけ直されてしまった。なので「これ、蒸れて気持ち悪いんですけど」と言うと、「ダメです!!主治医の指示ですので、ちゃんとつけてください」と言われた。
ああ、これでまた酸素マスク外しちゃうと今度は腕を拘束されてしまうんだろうなぁ。やっぱり医者が来るのを待つしかないみたいだ。
10:00に看護婦が来て、浣腸をすると言う。処置室に行く。しかし、今日はお尻を出すだけなので、前は見られずに済むから良い。
「浣腸はやった事ありますか?」と言うので、「ありませんよ、ノンケだし」とかぶつぶつ言うと「え?」と言うので「いや、こっちの話」と言った。
その後、浣腸される。ただでさえ昨日下剤を飲んでるので、お腹は一気に下って極度の腹痛。しかし、ちゃんと処置室には様式便器がついている。いそいで様式便器に座ってお腹のものを一気に出した。なんかスッキリした。
11:00に担当医が来て、今から手術の説明をすると言うので、ナースステーションの特設テーブルに行った。
今回の手術は腹腔鏡手術による、胆嚢切除手術。おへそからカメラを入れて、カテーテルによる遠隔操作でモニターを見ながら胆管をくっつけた後、胆嚢を切除するという。
ただし、1万人に1人の確率で肝臓から胆嚢にバイパス管が伸びてる場合があって、その場合、腹腔鏡ではどうにもならないので、腹を切開する場合がある、との事。また、人によっては思わぬ場所に血管があって、それを切ってしまう場合があるので、その場合は切開して止血した後、血液製剤を使うという話だった。
とにかく、自分の体がもし一般的な人の構造と違っていたら、腹を切られてしまうっていう事だな。
12:00に手術着に着替えてくださいと言うので、例のアマゾンで買った手術着を着た。
13:00 手術室に入った。背中にとっても痛い注射をされた。これは、背中に痛み止めの管を入れるための麻酔なんだそうで、麻酔をするための針が痛いとはこまったもんだ。その後、背中に管を入れたが、これは麻酔が聞いてたおかげで痛くなかった。
その後、麻酔を入れますという声がした・・・
途端に、腹に激痛が走った。看護婦の「終わりましたよ」という声が聞こえた。見ると、いつの間にか手術室は出ており、自分の病室にいた。
隣で、ものすごいケンカする声が聞こえてきた。頼む、今だけはケンカはやめてくれ。今はほんの少しのストレスで、傷がとっても痛む。
あまりの痛さに耐えかねてナースコールのボタンを押した。スピーカーから「どうしました?」って聞こえてきたが、痛くて声が出せない。すると看護婦が来て「どうしました?」と聞くので、泣き声で「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い」って連呼した。すると「痛いですよねー」と言う。まったく他人事だと思って・・・。
しかし、この「痛い痛い」が聞こえたのか、隣のケンカは収まった。
少しして、他の看護婦が来て「夜の担当の◯◯です」と言う。えー、看護婦の引き継ぎって午後五時でしょ?麻酔で眠る前はたしか午後1時だったはず。えー、手術4時間もかかったの??
前にGoogleで検索したら、胆嚢切除手術は2時間?2時間半と書いてあったので、てっきり今は3時から4時だと思っていたのに、5時とは。そもそも、腹腔鏡手術は患者の負担が軽いという話だったのに、この激痛は一体なんだ。
そういえば、前に1万人に1人の確率で予期せぬ事態に陥る場合があって、その場合はお腹を切開するとか言ってたぞ。って事は、腹腔鏡ではどうにもならず、結局切開されてしまった、そのために手術に時間がかかった・・・と見るのが自然だろう。
??時 少し痛みがマシになってきたので、状況を整理してみる。
・右手の人指し指には整体モニターの端末がついてて、ずっと洗濯バサミで指を挟まれている感じがする。
・足は、エコノミークラス症候群防止の靴下を履かされていて、これがけっこうキツい。
・左腕には血圧計がつけられており、定期的に膨らむのだが、これがけっこう痛い。
・口には酸素マスクがつけられている。
・股間には尿カテーテルがつけられており、パイプが短くて身動き1つできないし、寝返りもうてない。
おまけに、今何時なのかもサッパリわからないし、そもそも身動き1つできないので時計を出す事もできない。困った・・・。
左手がかろうじて自由に動かせるようなので、左手でなんとか引き出しを開けてスマホを取り出してみる。なんとかスマホを出すことに成功。これで時間が確認できる。今は深夜の3時ぐらいだろうか・・・
と思って時計を見たが、まだ夜の0:38だった。って事は、この状態を少なくともあと10時間は耐えないといけないという事か。
なんとか、右手の洗濯バサミを外してみるが、途端に「ピロリン ピロリン ピロリン ピロリン」って音がして看護婦が飛んできて、洗濯バサミを挟まれてしまった。どうやらこれを外すと生体モニターが異常を報告するみたいだ。なので、これは外すとバレる。
尿カテーテルは自分じゃ絶対外せないだろう。というか、手術前の説明で、「自分で機器を外すような事があった場合は、腕を拘束させていただきます」って言ってた。
父が最後に入院した時は、既に認知症が悪化していて自分がなぜ点滴や尿カテーテルをつけられているのか理解できず、何度ダメと言っても自分で外そうとしてしまう。病院側も仕方がないので、腕を拘束したのだが、それでも父が「これを取ってくれ取ってくれ」と言うので、涙が止まらくなった。
という事があったので、尿カテーテルを自分で外す事はできない。ただでさえストレスがたまる状況なのに、その上腕を拘束されたら狂い死ぬかもしれん。
しかし問題なのはこの腰の痛みだ。ずっと真上を向いた状態から身動きできないから、持病の腰痛が悪化して腰が痛くて死にそうだ。しかし、寝返りも打てない。困った。
仕方がないのでナースコールを押して「向き変えたい」と言ったら、なんとか体の向きを右向きにしてもらえた・・・が、それはそれで切開した腹に響いて痛い。これだと腰痛の方がマシなので、自分で上向きに戻してしまった。
さらに問題なのが膀胱の違和感だ。常時おしっこが漏れそうな感覚に襲われている。またナースコールを押して、「おしっこ漏れそうなんですけど」と言うと、「大丈夫ですよ。ちゃんと尿は出てますから」と言う。では、この常時おしっこが漏れそうな感覚は一体何だ?
あと、普段たと仕事中に大しておしっこしたくなくても、トイレに言って一息ついたりするし、トイレでおしっこをする事そのものがある程度気晴らしになるんだけど、今はそれすらできない。おしっこができない。尿はカテーテルで強制的に出されてしまう。
とにかく、なんとかして寝ないと、この長い夜を乗り越える事はできない。どうにかして寝る事はできないだろうか?
しかし、今の違和感は半端ではない。指には洗濯バサミ、足にはキツい靴下、腕には定期的に膨らむ血圧計、膀胱は常におしっこしたい感覚、口には蒸れて熱い酸素マスク・・・とにかく最悪だ。こんな最悪な状況、これまで生きてて一度も体験した事ない。
とにかく、もう金輪際手術はしない事を誓った・・・んだけど、じゃあもしこの後ガンになったらどうするの?って思った。母は病院の検査から逃げ回っていたせいで、ガンが発覚した時は既に全身に転移していて手遅れになり、結果、耐え難い痛みに耐えながら血を吐いて死んだ。なので、ガンになったら手遅れになる前に手術を受けるしかないのだ。
01:30 スマホを見るとまだ1時半だ。一体尿カテーテルを外せて体の向きを変えられるまで、あと何時間この拷問に耐えないといけないのか。
しかし、人が死ぬ時ってどんな感じなんだろうか?両親ともに、死んだ時は尿カテーテル入れられたまま、点滴をつけられたまま、身動きできない状態で死んだ。病院で死ぬって事はつまり、この状態で死ぬまで開放されないまま死ぬって事だよなぁ。自分も人生の終わりにはこの体験をしないといけないのだろうか?
などと考えていたら、いつの間にか寝てしまった・・・が、電車の中で失禁する夢を見て慌てて飛び起きた。しまった、おねしょしてしまった??
・・・わけない。そもそも、今の状態でおねしょなんてできない。尿はカテーテルで勝手に出ていくんだからな。しかし、おしっこが漏れそうな感覚は常時続いたままなので、この後何度寝てもまた失禁する夢しか見ないだろう。
なんか、突然松山千春の「長い夜」が頭に浮かんだ。「♪恋に揺れる心ひとつ」最後まで歌を思い出した後、もう1回最初に戻ってまた同じ歌を思い浮かべる。これでなんとか時間を凌ごう。
時計を見ると・・・まだ3時だ。一体いつになったら夜が明けるのだろうか?
とその時、口から酸素マスクが外れた。なんだ、これ取れるのか。ならば取ってしまおう。蒸れた酸素マスクの違和感がなくなれば、状況はかなりマシになる。
ところが、すぐに看護婦が飛んできて酸素マスクつけ直されてしまった。なので「これ、蒸れて気持ち悪いんですけど」と言うと、「ダメです!!主治医の指示ですので、ちゃんとつけてください」と言われた。
ああ、これでまた酸素マスク外しちゃうと今度は腕を拘束されてしまうんだろうなぁ。やっぱり医者が来るのを待つしかないみたいだ。
2019年2月14日 入院1日目
今日から手術に向けて入院しないといけない。手術は明日なのだが、今日は下剤を飲んだり剃毛をしないといけなかったりと、色々とやる事があるらしい。
病院は10時から10時半の間に入院受付窓口に来てくださいと言うんだけど、残念ながら三崎台から市立病院まで直接行けるバスが10時台に1本もない。かといって、バスを乗り継いで市立病院に行くとなると、三崎台→片柳支所→北浦和駅→市立病院と死ぬほど遠回りをしないといけない上に、時間にして1時間半はかかってしまう。んな、徒歩で30分で着く所になにも1時間半もかけてバスで行く必要もない。
かといって、長期入院するのに自転車やバイクで行って長期駐輪したら、放置自転車、放置バイクだと思われて撤去されてしまうかもしれない。仕方ない、30分かけて歩いていくか。
10:15 市立病院入院受付窓口。この窓口、毎回思うんだけど「順番ですので、番号札持ってお待ち下さい!」ってなんかいつも怒ったような言い方で言われるんだよなぁ。そんなに入院してほしくないのかな?番号札ぐらい機械で発券すりゃいいのに。
11:00 病室に案内される。パジャマに着替えてくださいと言うので着替える。「手術する時は、裸に前開きのガウンを着てもらいますが、お持ちですか?」と聞くので、アマゾンで買ったのを出した。

すると「え?これどこで買ったんですか?」と聞くので「アマゾンですけど?」と言うと、「これって、ここでレンタルしてるガウンと全く同じものなんですけど」と言う。それは困ったな。手術した時にレンタル品と自分で買ったのが混ざっちゃう。どうする・・・と思ったんだけど、まあどうせ金輪際手術する気はないからいいか、と安易に考えていた、この時は。
14:00 年配の看護婦が来て、今から剃毛をすると言う。お腹を切るわけであるから、きっと胸毛と腹毛を剃るんだろうと思っていた。
処置室に入ると、ズボンを脱いでくださいと言うので、パジャマのズボンを脱いだ。すると、パンツおろしてもらってよろしいですか?と言う。え?パンツ?いや、これはパンツ↑、つまりズボンの事だろうと思って無視していたのだ、が・・・。
すると、年配の看護婦が「それじゃ失礼しますね」とか言ってパンツを下げた。えー!!なんでや!陰毛関係ないやろ!
「見たね、おふくろにも見せた事ないのに!!」(アムロの声で脳内再生してね)
結局、陰毛を全て、袋のまわりに生えてる毛すら完璧に剃られてしまった。これじゃ小学生ではないか!!
ここで余談。小5の林間学校は2泊3日だったのだが、お風呂はクラス単位で大浴場だったのだが、他の人はフルチンで前も隠さずふざけて走り回ったりお湯のかけあいなどしていたのだが、自分はひた隠しにしていた。なぜなら、どういうわけか自分だけボーボーだったのだ。てっきりクラスの他の奴らも既にボーボーだと思っていたのになぜ??
その後、浴室で体よく洗ってくださいと言うので、浴室に行って備え付けのビオレUで体を洗うのだが、なんか袋の周囲がヒリヒリする。見ると、袋があっちこっち傷だらけだ。なんだよ、もっと上手い人いなかったのか!?
21:00 下剤の錠剤を渡される。しかし、水がない。なんで??ああ、そうか、普通は入院する時は「水のみ器」を持ってこないといけなかったのか。いや、前に両親のためにアマゾンで買ったんだけどね。両親が死んだ時に、もうこんなもん二度と使わんだろうと思って不燃ごみで出しちゃったんだっけな。
しょうがないので、販売機ゾーンに行って「いろはす」を買ってきた飲んだ。しかし、この先水が飲みたい時は買わないといけないのか、トホホ。次に入院する時は水飲み器買っておこう。
22:00 点滴をつけられる・・・が、痛い。なんでこんなに痛いねん。尿管結石の粉砕手術を受けた時とか、造影CTをやった時の点滴はこんなに痛くなかったのに。針をさす場所も、腕の外側の方の硬いとこだから余計痛いし。
以後は飲食もできないし、水も飲めないと言う。まあ、水は点滴があるので喉は乾かないとは思うが、飲めないと言われると妙に飲みたくなるから困ったもんだ。まあ、明日手術が終わったら思う存分飲めばいいか。
病院は10時から10時半の間に入院受付窓口に来てくださいと言うんだけど、残念ながら三崎台から市立病院まで直接行けるバスが10時台に1本もない。かといって、バスを乗り継いで市立病院に行くとなると、三崎台→片柳支所→北浦和駅→市立病院と死ぬほど遠回りをしないといけない上に、時間にして1時間半はかかってしまう。んな、徒歩で30分で着く所になにも1時間半もかけてバスで行く必要もない。
かといって、長期入院するのに自転車やバイクで行って長期駐輪したら、放置自転車、放置バイクだと思われて撤去されてしまうかもしれない。仕方ない、30分かけて歩いていくか。
10:15 市立病院入院受付窓口。この窓口、毎回思うんだけど「順番ですので、番号札持ってお待ち下さい!」ってなんかいつも怒ったような言い方で言われるんだよなぁ。そんなに入院してほしくないのかな?番号札ぐらい機械で発券すりゃいいのに。
11:00 病室に案内される。パジャマに着替えてくださいと言うので着替える。「手術する時は、裸に前開きのガウンを着てもらいますが、お持ちですか?」と聞くので、アマゾンで買ったのを出した。

すると「え?これどこで買ったんですか?」と聞くので「アマゾンですけど?」と言うと、「これって、ここでレンタルしてるガウンと全く同じものなんですけど」と言う。それは困ったな。手術した時にレンタル品と自分で買ったのが混ざっちゃう。どうする・・・と思ったんだけど、まあどうせ金輪際手術する気はないからいいか、と安易に考えていた、この時は。
14:00 年配の看護婦が来て、今から剃毛をすると言う。お腹を切るわけであるから、きっと胸毛と腹毛を剃るんだろうと思っていた。
処置室に入ると、ズボンを脱いでくださいと言うので、パジャマのズボンを脱いだ。すると、パンツおろしてもらってよろしいですか?と言う。え?パンツ?いや、これはパンツ↑、つまりズボンの事だろうと思って無視していたのだ、が・・・。
すると、年配の看護婦が「それじゃ失礼しますね」とか言ってパンツを下げた。えー!!なんでや!陰毛関係ないやろ!
「見たね、おふくろにも見せた事ないのに!!」(アムロの声で脳内再生してね)
結局、陰毛を全て、袋のまわりに生えてる毛すら完璧に剃られてしまった。これじゃ小学生ではないか!!
ここで余談。小5の林間学校は2泊3日だったのだが、お風呂はクラス単位で大浴場だったのだが、他の人はフルチンで前も隠さずふざけて走り回ったりお湯のかけあいなどしていたのだが、自分はひた隠しにしていた。なぜなら、どういうわけか自分だけボーボーだったのだ。てっきりクラスの他の奴らも既にボーボーだと思っていたのになぜ??
その後、浴室で体よく洗ってくださいと言うので、浴室に行って備え付けのビオレUで体を洗うのだが、なんか袋の周囲がヒリヒリする。見ると、袋があっちこっち傷だらけだ。なんだよ、もっと上手い人いなかったのか!?
21:00 下剤の錠剤を渡される。しかし、水がない。なんで??ああ、そうか、普通は入院する時は「水のみ器」を持ってこないといけなかったのか。いや、前に両親のためにアマゾンで買ったんだけどね。両親が死んだ時に、もうこんなもん二度と使わんだろうと思って不燃ごみで出しちゃったんだっけな。
しょうがないので、販売機ゾーンに行って「いろはす」を買ってきた飲んだ。しかし、この先水が飲みたい時は買わないといけないのか、トホホ。次に入院する時は水飲み器買っておこう。
22:00 点滴をつけられる・・・が、痛い。なんでこんなに痛いねん。尿管結石の粉砕手術を受けた時とか、造影CTをやった時の点滴はこんなに痛くなかったのに。針をさす場所も、腕の外側の方の硬いとこだから余計痛いし。
以後は飲食もできないし、水も飲めないと言う。まあ、水は点滴があるので喉は乾かないとは思うが、飲めないと言われると妙に飲みたくなるから困ったもんだ。まあ、明日手術が終わったら思う存分飲めばいいか。
2019年1月18日 胃カメラ
今日は胃カメラの検査だ。ついにこの日が来てしまった。実はこれで3回目なのだが、1回目、2回目とも気持ち悪くて、こんな事二度とやるものかと思ったものだが。
どうも喉が異物に対して敏感すぎるというか、子供の頃にパチンコ玉を口に入れてたら間違えて飲みそうになったトラウマが蘇るというか、とにかくカメラが胃に入ってる間ずっとオエーってなってどうしょもない。
同意書を見ると、「麻酔をかける場合は、自動車、バイク、自転車等を運転して来ないでください」とある。「公共交通機関を利用するか、家族の運転する車で来てください」と。
公共交通機関ったって、市立病院まで直接行けるバスが2時間に1本しかない。朝の7時半の次が9時半だ。9時の予約だから、7時半に行くしかないが、それだとさすがに早すぎる。
バスを乗り換えるのであれば、片柳支所→山崎→市立病院と2回も乗り換えないといけないし、1時間以上かかってしまう。徒歩で30分のところを1時間かけてバスで行くのもバカバカしい。じゃあ歩いて行こう。
8時に家を出発。しかし寒い。おまけに、バイクなら10分で着くところを徒歩で30分かけて歩くのは辛い。道は狭いし、通勤時間で車は頻繁に通るし、車がえらい大げさに避けて通るし、なんか悪い事をしている気分。
この辺って駅から遠いしバスの本数も少ないし、完全に車社会だからねぇ。道も徒歩で移動する事なんか想定されて作ってないし。
8時半、内視鏡検査質前。もう二度と来る事はないと思っていたが・・・

ここは忘れもしない。真夜中に母が吐血して、病院から呼び出された場所だ。末期がんの患者は麻酔が効かないので、止血をするためには口からカテーテルをつっこんで遠隔操作で止血作業をするしかないそうで。しかし麻酔が一切効かないので相当辛いらしく、中から母の悲痛なうめき声が聞こえてきた。
という、できれば二度と来たくなかった場所なのだが、検査をしなければ手術ができないそうなので仕方ない。
8:45。今日自分と同様に胃カメラを受ける人が何人か来る。しかし、他の人は余裕だなぁ。俺なんか怖くてガタガタ震えてたのに、他の人見ると全然平気で、普通に看護婦と笑いながら話ししてたりするし。
9:00 看護婦に呼ばれてベッドへ。まずはコレを喉に当ててくださいと言われて、注射器からドロドロした液体を口に含まされる。いや、これも3回目だ。これがなにしろマズい。マズい上に、喉に刺激が強すぎてオエーってなる。前回なんか、この時点で既に吐いちゃったし。
結局、今回もこのドロドロした液体を口に含むことができず、すぐに出してしまった。前回はそのせいでカメラを挿入時に余計辛くなってしまったわけだが。
次に鎮痛剤を点滴する。しかし、全然眠くならない。すると看護婦が「これは単なる鎮痛剤です。麻酔は先生が来てから入れますので」と言う。麻酔は麻酔科の資格を持った先生じゃないと打てないわけね。
9:15に先生が来て、マウスピースを口にくわえてくださいと言う。ここまでは前回と同じだな。前回はマウスピースを口に入れた直後に胃カメラを口に突っ込まれたわけだが・・・。
今回は先生が「じゃあ麻酔を入れます」と言う。点滴に何か別の液体を入れる。しかし、全然眠くならない。
「あれ?全然眠くならないんですけど」と言おうと思った途端、口にカメラを突っ込まれてオエーってとなる。なんだよ、麻酔全然効かねぇじゃないか。と思っていたところ、「もうすぐ終わりますからね」という声がした。
その後、気がついたら先生はいなくなってて、マウスピースも外されていた。そういえば、口の中があのドロドロの麻酔でヒリヒリしてたハズなのに、口の中のヒリヒリもなくなってる。
時計を見ると、10:30だ。あれ?今さっき9:30だったのに、なんで1時間もワープしてるわけ??
結局、手術の時の全身麻酔と違って、胃カメラの時の麻酔は酸素マスクできないので、そんなに強く麻酔をかけられないわけですな。酸素マスクなしで強い麻酔なんかかけたら窒息して死んじゃうし。
なので、胃カメラを飲まされている感覚は残るし、先生の声もちゃんと聞こえている。しかし、麻酔をまったくかけない事とくらべれば、気持ちの悪さは雲泥の差だな。特に、麻酔なしでやる場合、目を閉じると看護婦に怒られちゃう。「目を閉じないでください!!」って。それが、麻酔ありの場合、目を閉じていても怒られないので、ある程度現実逃避ができる。ずっと他の事を考えて気を紛らわせる事ができるので、全然楽だ。
カメラを抜いてからは、何の外部刺激もないので深く眠ってしまったっぽい。この日は徹夜明けだったので特に。
予定では10:00から診察室で、この前の造影CTと今日の胃カメラの結果を聞くハズだったんだけど、10:30まで麻酔が効いてて寝ちゃったんだから仕方ない。10:45に内科の受付に行って「胃カメラ終わりました」と言った。
11:00に、診察の順番が回ってきたので、結果を聞く。しかし、苦労したわりには何の問題もなく、いたって健康な胃だ。あんまり胃が痛いから、てっきり胃潰瘍・・・少なくともポリープぐらいはあると思っていたが、自分でも胃の画像見たけど、何もなかった。
じゃあ、なんでお腹が痛いのかと先生に聞いたのだが、やっぱり胆石でしょうという事で、やっぱり手術をするという事に。
造影CTの結果について何も言わないので、造影CTはどうだったのか聞いたんだけど、特に何も異常はないと。ガンもなければ、特に他に良性の腫瘍らしきものも何もないと。
おかしいな。胆石の他に脇腹も痛いんだけど、コレの原因についてはいぜん不明。多分、腎臓に石が残っているから、そのせいだとは思うが・・・。
次回からは担当医師が代わって、今までは内科の医師だったけど、次回は外科に行ってくださいとの事。そりゃ手術するわけだから外科になるんでしょけど。
どうも喉が異物に対して敏感すぎるというか、子供の頃にパチンコ玉を口に入れてたら間違えて飲みそうになったトラウマが蘇るというか、とにかくカメラが胃に入ってる間ずっとオエーってなってどうしょもない。
同意書を見ると、「麻酔をかける場合は、自動車、バイク、自転車等を運転して来ないでください」とある。「公共交通機関を利用するか、家族の運転する車で来てください」と。
公共交通機関ったって、市立病院まで直接行けるバスが2時間に1本しかない。朝の7時半の次が9時半だ。9時の予約だから、7時半に行くしかないが、それだとさすがに早すぎる。
バスを乗り換えるのであれば、片柳支所→山崎→市立病院と2回も乗り換えないといけないし、1時間以上かかってしまう。徒歩で30分のところを1時間かけてバスで行くのもバカバカしい。じゃあ歩いて行こう。
8時に家を出発。しかし寒い。おまけに、バイクなら10分で着くところを徒歩で30分かけて歩くのは辛い。道は狭いし、通勤時間で車は頻繁に通るし、車がえらい大げさに避けて通るし、なんか悪い事をしている気分。
この辺って駅から遠いしバスの本数も少ないし、完全に車社会だからねぇ。道も徒歩で移動する事なんか想定されて作ってないし。
8時半、内視鏡検査質前。もう二度と来る事はないと思っていたが・・・

ここは忘れもしない。真夜中に母が吐血して、病院から呼び出された場所だ。末期がんの患者は麻酔が効かないので、止血をするためには口からカテーテルをつっこんで遠隔操作で止血作業をするしかないそうで。しかし麻酔が一切効かないので相当辛いらしく、中から母の悲痛なうめき声が聞こえてきた。
という、できれば二度と来たくなかった場所なのだが、検査をしなければ手術ができないそうなので仕方ない。
8:45。今日自分と同様に胃カメラを受ける人が何人か来る。しかし、他の人は余裕だなぁ。俺なんか怖くてガタガタ震えてたのに、他の人見ると全然平気で、普通に看護婦と笑いながら話ししてたりするし。
9:00 看護婦に呼ばれてベッドへ。まずはコレを喉に当ててくださいと言われて、注射器からドロドロした液体を口に含まされる。いや、これも3回目だ。これがなにしろマズい。マズい上に、喉に刺激が強すぎてオエーってなる。前回なんか、この時点で既に吐いちゃったし。
結局、今回もこのドロドロした液体を口に含むことができず、すぐに出してしまった。前回はそのせいでカメラを挿入時に余計辛くなってしまったわけだが。
次に鎮痛剤を点滴する。しかし、全然眠くならない。すると看護婦が「これは単なる鎮痛剤です。麻酔は先生が来てから入れますので」と言う。麻酔は麻酔科の資格を持った先生じゃないと打てないわけね。
9:15に先生が来て、マウスピースを口にくわえてくださいと言う。ここまでは前回と同じだな。前回はマウスピースを口に入れた直後に胃カメラを口に突っ込まれたわけだが・・・。
今回は先生が「じゃあ麻酔を入れます」と言う。点滴に何か別の液体を入れる。しかし、全然眠くならない。
「あれ?全然眠くならないんですけど」と言おうと思った途端、口にカメラを突っ込まれてオエーってとなる。なんだよ、麻酔全然効かねぇじゃないか。と思っていたところ、「もうすぐ終わりますからね」という声がした。
その後、気がついたら先生はいなくなってて、マウスピースも外されていた。そういえば、口の中があのドロドロの麻酔でヒリヒリしてたハズなのに、口の中のヒリヒリもなくなってる。
時計を見ると、10:30だ。あれ?今さっき9:30だったのに、なんで1時間もワープしてるわけ??
結局、手術の時の全身麻酔と違って、胃カメラの時の麻酔は酸素マスクできないので、そんなに強く麻酔をかけられないわけですな。酸素マスクなしで強い麻酔なんかかけたら窒息して死んじゃうし。
なので、胃カメラを飲まされている感覚は残るし、先生の声もちゃんと聞こえている。しかし、麻酔をまったくかけない事とくらべれば、気持ちの悪さは雲泥の差だな。特に、麻酔なしでやる場合、目を閉じると看護婦に怒られちゃう。「目を閉じないでください!!」って。それが、麻酔ありの場合、目を閉じていても怒られないので、ある程度現実逃避ができる。ずっと他の事を考えて気を紛らわせる事ができるので、全然楽だ。
カメラを抜いてからは、何の外部刺激もないので深く眠ってしまったっぽい。この日は徹夜明けだったので特に。
予定では10:00から診察室で、この前の造影CTと今日の胃カメラの結果を聞くハズだったんだけど、10:30まで麻酔が効いてて寝ちゃったんだから仕方ない。10:45に内科の受付に行って「胃カメラ終わりました」と言った。
11:00に、診察の順番が回ってきたので、結果を聞く。しかし、苦労したわりには何の問題もなく、いたって健康な胃だ。あんまり胃が痛いから、てっきり胃潰瘍・・・少なくともポリープぐらいはあると思っていたが、自分でも胃の画像見たけど、何もなかった。
じゃあ、なんでお腹が痛いのかと先生に聞いたのだが、やっぱり胆石でしょうという事で、やっぱり手術をするという事に。
造影CTの結果について何も言わないので、造影CTはどうだったのか聞いたんだけど、特に何も異常はないと。ガンもなければ、特に他に良性の腫瘍らしきものも何もないと。
おかしいな。胆石の他に脇腹も痛いんだけど、コレの原因についてはいぜん不明。多分、腎臓に石が残っているから、そのせいだとは思うが・・・。
次回からは担当医師が代わって、今までは内科の医師だったけど、次回は外科に行ってくださいとの事。そりゃ手術するわけだから外科になるんでしょけど。
2019年1月15日 造影CT
今日は造影CTのために市立病院へ行く。造影CTとは、血液に造影剤を点滴してから行うCT検査。そのために、腫瘍などがあった場合に発見しやすいそうで。
しかし、同意書を見るとなんか怖い。1万人に1人の割合で重篤な状態になる場合があり、17万人に1人の割合で死亡例がある。また、アレルギーで全身にかゆみが生じる場合があるのと、点滴が外れて腕に激痛を伴う場合がある。
で、それらのリスクを承諾するならサインを・・・って、そこまで脅されてサインできるかよ。かといって、サインしないと検査できないし、困ったな。
実を言うと、もうこの頃になると胆石痛が悪化していて、少し食べただけで痛くなってしまう。なのでお粥しか食べられない状態で。これ以上手術から逃げると、ずっと逃げてないといけないわけで。
それに、病院嫌いの母が、どうしても我慢できなくなって病院に行った時には、既にがんが全身に転移していて手遅れだった。あの時は、造影CTで全身への転移が判明したわけだが。
なので、造影CTはがんを発見するためには必要な事なのだ。手遅れになる前に受けなければならない。仕方ない。もう観念して同意書にサインした。
8:00病院着。ここまで来たのはいいが、やっぱり怖い。

8:30に窓口が開いて受付をすると言うので、受付票を出す。
9:00に予約の順番でCTの撮影が始まるが、すぐに中から子供のギャン泣きが聞こえてくる。そりゃ大人の俺がこんだけ怖いんだから、子供なんかさぞや恐怖だろう。
9:15に放射線技師に呼ばれて、「まずはこれ(ガウン)に着替えてください」と言うので、上着(ダウンコート、ベスト、ポロシャツ)を脱いでTシャツ1枚になる。すると、「キュゥべえですか。僕はマミさん派なんですけどね」って言われた。ああ、これを着てたからか。

ガウンに着替えてレントゲン室のベッドで横になる。すると、造影剤を点滴するので、気分が悪くなったら言ってくださいと言う。
点滴が始まる。もう心臓バクバク。急に呼吸が速くなったので、看護婦が「どうしました!」って言う。なので「怖いんですよ。同意書であんだけ脅されたら」って言うと、「ですよね?」って言われた。
30分後、点滴がカラになる。なんだ、さんざん脅されたけど、なんともないではないか。なにが1万人に1人の確率で重篤な状態になる、だよまったく。
その後、ベッドの上で1回転してくださいと言うので、横向きに1回展した。別にバック宙するわけではない。横向きにゴロンとなっただけだ。
その後、CTを撮影して今日は終わり。なんだ、さんざん脅されたわりには、どうって事なかったな。やはり問題は次回の胃カメラのようだ。
しかし、同意書を見るとなんか怖い。1万人に1人の割合で重篤な状態になる場合があり、17万人に1人の割合で死亡例がある。また、アレルギーで全身にかゆみが生じる場合があるのと、点滴が外れて腕に激痛を伴う場合がある。
で、それらのリスクを承諾するならサインを・・・って、そこまで脅されてサインできるかよ。かといって、サインしないと検査できないし、困ったな。
実を言うと、もうこの頃になると胆石痛が悪化していて、少し食べただけで痛くなってしまう。なのでお粥しか食べられない状態で。これ以上手術から逃げると、ずっと逃げてないといけないわけで。
それに、病院嫌いの母が、どうしても我慢できなくなって病院に行った時には、既にがんが全身に転移していて手遅れだった。あの時は、造影CTで全身への転移が判明したわけだが。
なので、造影CTはがんを発見するためには必要な事なのだ。手遅れになる前に受けなければならない。仕方ない。もう観念して同意書にサインした。
8:00病院着。ここまで来たのはいいが、やっぱり怖い。

8:30に窓口が開いて受付をすると言うので、受付票を出す。
9:00に予約の順番でCTの撮影が始まるが、すぐに中から子供のギャン泣きが聞こえてくる。そりゃ大人の俺がこんだけ怖いんだから、子供なんかさぞや恐怖だろう。
9:15に放射線技師に呼ばれて、「まずはこれ(ガウン)に着替えてください」と言うので、上着(ダウンコート、ベスト、ポロシャツ)を脱いでTシャツ1枚になる。すると、「キュゥべえですか。僕はマミさん派なんですけどね」って言われた。ああ、これを着てたからか。

ガウンに着替えてレントゲン室のベッドで横になる。すると、造影剤を点滴するので、気分が悪くなったら言ってくださいと言う。
点滴が始まる。もう心臓バクバク。急に呼吸が速くなったので、看護婦が「どうしました!」って言う。なので「怖いんですよ。同意書であんだけ脅されたら」って言うと、「ですよね?」って言われた。
30分後、点滴がカラになる。なんだ、さんざん脅されたけど、なんともないではないか。なにが1万人に1人の確率で重篤な状態になる、だよまったく。
その後、ベッドの上で1回転してくださいと言うので、横向きに1回展した。別にバック宙するわけではない。横向きにゴロンとなっただけだ。
その後、CTを撮影して今日は終わり。なんだ、さんざん脅されたわりには、どうって事なかったな。やはり問題は次回の胃カメラのようだ。
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