2019年1月18日 胃カメラ
今日は胃カメラの検査だ。ついにこの日が来てしまった。実はこれで3回目なのだが、1回目、2回目とも気持ち悪くて、こんな事二度とやるものかと思ったものだが。
どうも喉が異物に対して敏感すぎるというか、子供の頃にパチンコ玉を口に入れてたら間違えて飲みそうになったトラウマが蘇るというか、とにかくカメラが胃に入ってる間ずっとオエーってなってどうしょもない。
同意書を見ると、「麻酔をかける場合は、自動車、バイク、自転車等を運転して来ないでください」とある。「公共交通機関を利用するか、家族の運転する車で来てください」と。
公共交通機関ったって、市立病院まで直接行けるバスが2時間に1本しかない。朝の7時半の次が9時半だ。9時の予約だから、7時半に行くしかないが、それだとさすがに早すぎる。
バスを乗り換えるのであれば、片柳支所→山崎→市立病院と2回も乗り換えないといけないし、1時間以上かかってしまう。徒歩で30分のところを1時間かけてバスで行くのもバカバカしい。じゃあ歩いて行こう。
8時に家を出発。しかし寒い。おまけに、バイクなら10分で着くところを徒歩で30分かけて歩くのは辛い。道は狭いし、通勤時間で車は頻繁に通るし、車がえらい大げさに避けて通るし、なんか悪い事をしている気分。
この辺って駅から遠いしバスの本数も少ないし、完全に車社会だからねぇ。道も徒歩で移動する事なんか想定されて作ってないし。
8時半、内視鏡検査質前。もう二度と来る事はないと思っていたが・・・
ここは忘れもしない。真夜中に母が吐血して、病院から呼び出された場所だ。末期がんの患者は麻酔が効かないので、止血をするためには口からカテーテルをつっこんで遠隔操作で止血作業をするしかないそうで。しかし麻酔が一切効かないので相当辛いらしく、中から母の悲痛なうめき声が聞こえてきた。
という、できれば二度と来たくなかった場所なのだが、検査をしなければ手術ができないそうなので仕方ない。
8:45。今日自分と同様に胃カメラを受ける人が何人か来る。しかし、他の人は余裕だなぁ。俺なんか怖くてガタガタ震えてたのに、他の人見ると全然平気で、普通に看護婦と笑いながら話ししてたりするし。
9:00 看護婦に呼ばれてベッドへ。まずはコレを喉に当ててくださいと言われて、注射器からドロドロした液体を口に含まされる。いや、これも3回目だ。これがなにしろマズい。マズい上に、喉に刺激が強すぎてオエーってなる。前回なんか、この時点で既に吐いちゃったし。
結局、今回もこのドロドロした液体を口に含むことができず、すぐに出してしまった。前回はそのせいでカメラを挿入時に余計辛くなってしまったわけだが。
次に鎮痛剤を点滴する。しかし、全然眠くならない。すると看護婦が「これは単なる鎮痛剤です。麻酔は先生が来てから入れますので」と言う。麻酔は麻酔科の資格を持った先生じゃないと打てないわけね。
9:15に先生が来て、マウスピースを口にくわえてくださいと言う。ここまでは前回と同じだな。前回はマウスピースを口に入れた直後に胃カメラを口に突っ込まれたわけだが・・・。
今回は先生が「じゃあ麻酔を入れます」と言う。点滴に何か別の液体を入れる。しかし、全然眠くならない。
「あれ?全然眠くならないんですけど」と言おうと思った途端、口にカメラを突っ込まれてオエーってとなる。なんだよ、麻酔全然効かねぇじゃないか。と思っていたところ、「もうすぐ終わりますからね」という声がした。
その後、気がついたら先生はいなくなってて、マウスピースも外されていた。そういえば、口の中があのドロドロの麻酔でヒリヒリしてたハズなのに、口の中のヒリヒリもなくなってる。
時計を見ると、10:30だ。あれ?今さっき9:30だったのに、なんで1時間もワープしてるわけ??
結局、手術の時の全身麻酔と違って、胃カメラの時の麻酔は酸素マスクできないので、そんなに強く麻酔をかけられないわけですな。酸素マスクなしで強い麻酔なんかかけたら窒息して死んじゃうし。
なので、胃カメラを飲まされている感覚は残るし、先生の声もちゃんと聞こえている。しかし、麻酔をまったくかけない事とくらべれば、気持ちの悪さは雲泥の差だな。特に、麻酔なしでやる場合、目を閉じると看護婦に怒られちゃう。「目を閉じないでください!!」って。それが、麻酔ありの場合、目を閉じていても怒られないので、ある程度現実逃避ができる。ずっと他の事を考えて気を紛らわせる事ができるので、全然楽だ。
カメラを抜いてからは、何の外部刺激もないので深く眠ってしまったっぽい。この日は徹夜明けだったので特に。
予定では10:00から診察室で、この前の造影CTと今日の胃カメラの結果を聞くハズだったんだけど、10:30まで麻酔が効いてて寝ちゃったんだから仕方ない。10:45に内科の受付に行って「胃カメラ終わりました」と言った。
11:00に、診察の順番が回ってきたので、結果を聞く。しかし、苦労したわりには何の問題もなく、いたって健康な胃だ。あんまり胃が痛いから、てっきり胃潰瘍・・・少なくともポリープぐらいはあると思っていたが、自分でも胃の画像見たけど、何もなかった。
じゃあ、なんでお腹が痛いのかと先生に聞いたのだが、やっぱり胆石でしょうという事で、やっぱり手術をするという事に。
造影CTの結果について何も言わないので、造影CTはどうだったのか聞いたんだけど、特に何も異常はないと。ガンもなければ、特に他に良性の腫瘍らしきものも何もないと。
おかしいな。胆石の他に脇腹も痛いんだけど、コレの原因についてはいぜん不明。多分、腎臓に石が残っているから、そのせいだとは思うが・・・。
次回からは担当医師が代わって、今までは内科の医師だったけど、次回は外科に行ってくださいとの事。そりゃ手術するわけだから外科になるんでしょけど。
どうも喉が異物に対して敏感すぎるというか、子供の頃にパチンコ玉を口に入れてたら間違えて飲みそうになったトラウマが蘇るというか、とにかくカメラが胃に入ってる間ずっとオエーってなってどうしょもない。
同意書を見ると、「麻酔をかける場合は、自動車、バイク、自転車等を運転して来ないでください」とある。「公共交通機関を利用するか、家族の運転する車で来てください」と。
公共交通機関ったって、市立病院まで直接行けるバスが2時間に1本しかない。朝の7時半の次が9時半だ。9時の予約だから、7時半に行くしかないが、それだとさすがに早すぎる。
バスを乗り換えるのであれば、片柳支所→山崎→市立病院と2回も乗り換えないといけないし、1時間以上かかってしまう。徒歩で30分のところを1時間かけてバスで行くのもバカバカしい。じゃあ歩いて行こう。
8時に家を出発。しかし寒い。おまけに、バイクなら10分で着くところを徒歩で30分かけて歩くのは辛い。道は狭いし、通勤時間で車は頻繁に通るし、車がえらい大げさに避けて通るし、なんか悪い事をしている気分。
この辺って駅から遠いしバスの本数も少ないし、完全に車社会だからねぇ。道も徒歩で移動する事なんか想定されて作ってないし。
8時半、内視鏡検査質前。もう二度と来る事はないと思っていたが・・・
ここは忘れもしない。真夜中に母が吐血して、病院から呼び出された場所だ。末期がんの患者は麻酔が効かないので、止血をするためには口からカテーテルをつっこんで遠隔操作で止血作業をするしかないそうで。しかし麻酔が一切効かないので相当辛いらしく、中から母の悲痛なうめき声が聞こえてきた。
という、できれば二度と来たくなかった場所なのだが、検査をしなければ手術ができないそうなので仕方ない。
8:45。今日自分と同様に胃カメラを受ける人が何人か来る。しかし、他の人は余裕だなぁ。俺なんか怖くてガタガタ震えてたのに、他の人見ると全然平気で、普通に看護婦と笑いながら話ししてたりするし。
9:00 看護婦に呼ばれてベッドへ。まずはコレを喉に当ててくださいと言われて、注射器からドロドロした液体を口に含まされる。いや、これも3回目だ。これがなにしろマズい。マズい上に、喉に刺激が強すぎてオエーってなる。前回なんか、この時点で既に吐いちゃったし。
結局、今回もこのドロドロした液体を口に含むことができず、すぐに出してしまった。前回はそのせいでカメラを挿入時に余計辛くなってしまったわけだが。
次に鎮痛剤を点滴する。しかし、全然眠くならない。すると看護婦が「これは単なる鎮痛剤です。麻酔は先生が来てから入れますので」と言う。麻酔は麻酔科の資格を持った先生じゃないと打てないわけね。
9:15に先生が来て、マウスピースを口にくわえてくださいと言う。ここまでは前回と同じだな。前回はマウスピースを口に入れた直後に胃カメラを口に突っ込まれたわけだが・・・。
今回は先生が「じゃあ麻酔を入れます」と言う。点滴に何か別の液体を入れる。しかし、全然眠くならない。
「あれ?全然眠くならないんですけど」と言おうと思った途端、口にカメラを突っ込まれてオエーってとなる。なんだよ、麻酔全然効かねぇじゃないか。と思っていたところ、「もうすぐ終わりますからね」という声がした。
その後、気がついたら先生はいなくなってて、マウスピースも外されていた。そういえば、口の中があのドロドロの麻酔でヒリヒリしてたハズなのに、口の中のヒリヒリもなくなってる。
時計を見ると、10:30だ。あれ?今さっき9:30だったのに、なんで1時間もワープしてるわけ??
結局、手術の時の全身麻酔と違って、胃カメラの時の麻酔は酸素マスクできないので、そんなに強く麻酔をかけられないわけですな。酸素マスクなしで強い麻酔なんかかけたら窒息して死んじゃうし。
なので、胃カメラを飲まされている感覚は残るし、先生の声もちゃんと聞こえている。しかし、麻酔をまったくかけない事とくらべれば、気持ちの悪さは雲泥の差だな。特に、麻酔なしでやる場合、目を閉じると看護婦に怒られちゃう。「目を閉じないでください!!」って。それが、麻酔ありの場合、目を閉じていても怒られないので、ある程度現実逃避ができる。ずっと他の事を考えて気を紛らわせる事ができるので、全然楽だ。
カメラを抜いてからは、何の外部刺激もないので深く眠ってしまったっぽい。この日は徹夜明けだったので特に。
予定では10:00から診察室で、この前の造影CTと今日の胃カメラの結果を聞くハズだったんだけど、10:30まで麻酔が効いてて寝ちゃったんだから仕方ない。10:45に内科の受付に行って「胃カメラ終わりました」と言った。
11:00に、診察の順番が回ってきたので、結果を聞く。しかし、苦労したわりには何の問題もなく、いたって健康な胃だ。あんまり胃が痛いから、てっきり胃潰瘍・・・少なくともポリープぐらいはあると思っていたが、自分でも胃の画像見たけど、何もなかった。
じゃあ、なんでお腹が痛いのかと先生に聞いたのだが、やっぱり胆石でしょうという事で、やっぱり手術をするという事に。
造影CTの結果について何も言わないので、造影CTはどうだったのか聞いたんだけど、特に何も異常はないと。ガンもなければ、特に他に良性の腫瘍らしきものも何もないと。
おかしいな。胆石の他に脇腹も痛いんだけど、コレの原因についてはいぜん不明。多分、腎臓に石が残っているから、そのせいだとは思うが・・・。
次回からは担当医師が代わって、今までは内科の医師だったけど、次回は外科に行ってくださいとの事。そりゃ手術するわけだから外科になるんでしょけど。
2019年1月15日 造影CT
今日は造影CTのために市立病院へ行く。造影CTとは、血液に造影剤を点滴してから行うCT検査。そのために、腫瘍などがあった場合に発見しやすいそうで。
しかし、同意書を見るとなんか怖い。1万人に1人の割合で重篤な状態になる場合があり、17万人に1人の割合で死亡例がある。また、アレルギーで全身にかゆみが生じる場合があるのと、点滴が外れて腕に激痛を伴う場合がある。
で、それらのリスクを承諾するならサインを・・・って、そこまで脅されてサインできるかよ。かといって、サインしないと検査できないし、困ったな。
実を言うと、もうこの頃になると胆石痛が悪化していて、少し食べただけで痛くなってしまう。なのでお粥しか食べられない状態で。これ以上手術から逃げると、ずっと逃げてないといけないわけで。
それに、病院嫌いの母が、どうしても我慢できなくなって病院に行った時には、既にがんが全身に転移していて手遅れだった。あの時は、造影CTで全身への転移が判明したわけだが。
なので、造影CTはがんを発見するためには必要な事なのだ。手遅れになる前に受けなければならない。仕方ない。もう観念して同意書にサインした。
8:00病院着。ここまで来たのはいいが、やっぱり怖い。
8:30に窓口が開いて受付をすると言うので、受付票を出す。
9:00に予約の順番でCTの撮影が始まるが、すぐに中から子供のギャン泣きが聞こえてくる。そりゃ大人の俺がこんだけ怖いんだから、子供なんかさぞや恐怖だろう。
9:15に放射線技師に呼ばれて、「まずはこれ(ガウン)に着替えてください」と言うので、上着(ダウンコート、ベスト、ポロシャツ)を脱いでTシャツ1枚になる。すると、「キュゥべえですか。僕はマミさん派なんですけどね」って言われた。ああ、これを着てたからか。
ガウンに着替えてレントゲン室のベッドで横になる。すると、造影剤を点滴するので、気分が悪くなったら言ってくださいと言う。
点滴が始まる。もう心臓バクバク。急に呼吸が速くなったので、看護婦が「どうしました!」って言う。なので「怖いんですよ。同意書であんだけ脅されたら」って言うと、「ですよね?」って言われた。
30分後、点滴がカラになる。なんだ、さんざん脅されたけど、なんともないではないか。なにが1万人に1人の確率で重篤な状態になる、だよまったく。
その後、ベッドの上で1回転してくださいと言うので、横向きに1回展した。別にバック宙するわけではない。横向きにゴロンとなっただけだ。
その後、CTを撮影して今日は終わり。なんだ、さんざん脅されたわりには、どうって事なかったな。やはり問題は次回の胃カメラのようだ。
しかし、同意書を見るとなんか怖い。1万人に1人の割合で重篤な状態になる場合があり、17万人に1人の割合で死亡例がある。また、アレルギーで全身にかゆみが生じる場合があるのと、点滴が外れて腕に激痛を伴う場合がある。
で、それらのリスクを承諾するならサインを・・・って、そこまで脅されてサインできるかよ。かといって、サインしないと検査できないし、困ったな。
実を言うと、もうこの頃になると胆石痛が悪化していて、少し食べただけで痛くなってしまう。なのでお粥しか食べられない状態で。これ以上手術から逃げると、ずっと逃げてないといけないわけで。
それに、病院嫌いの母が、どうしても我慢できなくなって病院に行った時には、既にがんが全身に転移していて手遅れだった。あの時は、造影CTで全身への転移が判明したわけだが。
なので、造影CTはがんを発見するためには必要な事なのだ。手遅れになる前に受けなければならない。仕方ない。もう観念して同意書にサインした。
8:00病院着。ここまで来たのはいいが、やっぱり怖い。
8:30に窓口が開いて受付をすると言うので、受付票を出す。
9:00に予約の順番でCTの撮影が始まるが、すぐに中から子供のギャン泣きが聞こえてくる。そりゃ大人の俺がこんだけ怖いんだから、子供なんかさぞや恐怖だろう。
9:15に放射線技師に呼ばれて、「まずはこれ(ガウン)に着替えてください」と言うので、上着(ダウンコート、ベスト、ポロシャツ)を脱いでTシャツ1枚になる。すると、「キュゥべえですか。僕はマミさん派なんですけどね」って言われた。ああ、これを着てたからか。
ガウンに着替えてレントゲン室のベッドで横になる。すると、造影剤を点滴するので、気分が悪くなったら言ってくださいと言う。
点滴が始まる。もう心臓バクバク。急に呼吸が速くなったので、看護婦が「どうしました!」って言う。なので「怖いんですよ。同意書であんだけ脅されたら」って言うと、「ですよね?」って言われた。
30分後、点滴がカラになる。なんだ、さんざん脅されたけど、なんともないではないか。なにが1万人に1人の確率で重篤な状態になる、だよまったく。
その後、ベッドの上で1回転してくださいと言うので、横向きに1回展した。別にバック宙するわけではない。横向きにゴロンとなっただけだ。
その後、CTを撮影して今日は終わり。なんだ、さんざん脅されたわりには、どうって事なかったな。やはり問題は次回の胃カメラのようだ。
2019年1月10日 胆石の手術を決意
2000年頃から、肉をいっぱい食べ過ぎるとお腹が痛くなった。しかし、それは誰にも起こる当たり前の生理現象だと思っていた。
ところが、2010年ぐらいからお腹の痛みが頻繁になってきて、
・ケンタッキーフライドチキンを食べる
・カステラを食べる
・食べたものの種類にかかわらず、腹八分以上食べる
のいずれかで、必ず激しい腹痛にみまわれる。しかし、当時は健康保険に入っておらず、医者にかかれなかった。
2012年に母が入院中に母にその事を話したら、すぐに診てもらいなさいと言うので、健康保険に入ってないのでできないと言うと、保険代は払ってあげるから診てもらいなさいと言う。
そこで、区役所に行って健康保険の手続きをしてから病院で検査してもらった。エコー、レントゲン、胃カメラなどなど、あらゆる検査をしたところ、胆嚢に石がある事以外は特に問題なしという。おそらく痛みの原因は胆石であろうという事になった。
しかし、胆石を治すためには胆嚢の摘出しかないそうで。それだけは勘弁してくださいと言うと、ウルソとコスパノンカプセルという胆石を溶かす薬でしばらく様子見という事になった。
それからしばらく半年ごとにエコーの検査を受けたのだが、胆石が溶ける気配は一向になく、やはり胆嚢を切除するしか方法がないという。
しかし手術は怖い。子供の頃、親父によく言われたもので、「手術は、手術しないと死ぬって場合以外するな」と。しかし、自分が子供の頃って、まだ輸血による薬害エイズだの注射器によるB型肝炎だの、感染症についてまだ社会問題化する以前の頃だったんで、案外親父の言う事は的を得ていたと思う。
それはともかく、手術は怖い。自分はサーバー管理の仕事をしていて、よくミスってサーバーを壊したもんだが(まて)、医者がミスると死ぬわけだからな。ヒューマンエラーはどんなに注意しても防げない事は自分が一番よくわかっているし。
というわけで、以降は半年に1回やっていたエコーの検査もせず、医者からずっと逃げていたのだが、去年の大晦日にうっかり食べすぎてしまい、1日の晩に地獄の胆石痛になった。
これはもう観念して手術するしかないと思ったけど、病院は4日まで休みなので仕方ない。4日まで待ってから病院に行ったものの、市立病院は予約制。一番早くても診てもらえるのは1月10日だという。仕方ないので1月10日に予約した。
2019年1月10日、ようやく病院へ。しかし、1年以上すっぽかしていたために、病院では「初診」の扱いになってしまう。病院の「自動受付機」から出てきたレシートにも「初診」とか書かれてるし。
そしたら、看護婦が問診票を書いてくださいというので書いて出す。しかし「体温が書かれてないんですけど」といってつき返されてしまった。えー、体温計ごと渡したのに。まさか、自分で書かないといけないわけ??
しょうがないので体温計を見たら「E」って書いてある。「あの、Eって出てしまうんですけど」って言ったら「エラーになっちゃうじゃなくて」って言う。ハァ?じゃなくて何だよ。どう見てもEだろ。
そしたらしばらくして、看護婦が「じゃあもう1回渡しますので、今度はちゃんと書いてくださいね」って言う。なんかむかついたが、体温を測って書いて再提出した。
しばらくして、また看護婦が来て「今日は何で来たんですか?」って言うから、「1月1日にうっかり食べすぎてしまい、胆石痛になって」と言うと「でも今は痛くないんですよね?」と言うので「はい」と答えると、また「じゃあ今日は何で来たんですか?」と言う。
ハァ?今現在痛くないと来ちゃダメなわけ?だって、1日に痛くなっても4日まで病院休みだし、最短で予約しても今日だし。それとも、その間ずっと痛み続けてないと来ちゃいけないわけ??
いや、もうアッタマ来た。「帰ります」って言うと、看護婦が「ちょっと待ってくださいよ。なんで帰るんですか?」って言う。なので、「もういいです。先生に直接話しますし、先生はわかってますから」と言ったら、じゃあそれで良いって事になった。
いくら先生が1日に何百人も担当してるったって、先生のPCの画面にはこれまでの経緯が出るし、それを見ればわかるでしょ。今までの経緯の画面もなにもない場面で看護婦に1から説明するとなると、このブログの、今日のこのエントリーなみの長い説明になるけど、それでもいいわけ??
10時に順番が回ってきたので、先生に説明する。「すいません、今までずっと手術から逃げてたんですけど、1日に食べすぎて激痛になりまして、もう観念して手術するしかないと思いまして」
すると先生は「じゃあ、手術の方向で進めていきますけど、いいですね」と言う。よかった。先生は覚えてくれていた。いや、忘れてたかもしれないけど、前の人の診察が終わった後に、まずPCの画面でこれまでの経緯を見てから呼ぶんでしょうから、さすがにその時に思い出すでしょう。
その後、先生が「今日は採血、尿検査、エコー、レントゲンの検査を行い、15日に造影CT、18日に胃カメラを行います」と言う。えー、胃カメラ??胃カメラは前にやったじゃないの。なんでもう1回??
要するに、今回の腹痛の原因が胃がんや胃潰瘍の可能性もあるし、もしそうだったら胆嚢を切除しても治らない、つまり手術そのものが無駄になるので、という事なのだが・・・。
「いや、胃カメラだけは勘弁してくださいよ。胃カメラなしでどうにかならないもんですか?」と言うと、「じゃあ、麻酔かけますので」と言う。ううむ、麻酔かぁ。麻酔かけるなら、まあなんとか耐えられるかも??
というわけで、またしても胃カメラを飲まなければならない事になってしまった。あれだけは二度とやるものかと思ったんだけど。胆嚢の切除も怖いけど、怖いのはその日だけだから・・・と思っていたが、その前に胃カメラという、怖いものを我慢しなければならない事になってしまった。
ところが、2010年ぐらいからお腹の痛みが頻繁になってきて、
・ケンタッキーフライドチキンを食べる
・カステラを食べる
・食べたものの種類にかかわらず、腹八分以上食べる
のいずれかで、必ず激しい腹痛にみまわれる。しかし、当時は健康保険に入っておらず、医者にかかれなかった。
2012年に母が入院中に母にその事を話したら、すぐに診てもらいなさいと言うので、健康保険に入ってないのでできないと言うと、保険代は払ってあげるから診てもらいなさいと言う。
そこで、区役所に行って健康保険の手続きをしてから病院で検査してもらった。エコー、レントゲン、胃カメラなどなど、あらゆる検査をしたところ、胆嚢に石がある事以外は特に問題なしという。おそらく痛みの原因は胆石であろうという事になった。
しかし、胆石を治すためには胆嚢の摘出しかないそうで。それだけは勘弁してくださいと言うと、ウルソとコスパノンカプセルという胆石を溶かす薬でしばらく様子見という事になった。
それからしばらく半年ごとにエコーの検査を受けたのだが、胆石が溶ける気配は一向になく、やはり胆嚢を切除するしか方法がないという。
しかし手術は怖い。子供の頃、親父によく言われたもので、「手術は、手術しないと死ぬって場合以外するな」と。しかし、自分が子供の頃って、まだ輸血による薬害エイズだの注射器によるB型肝炎だの、感染症についてまだ社会問題化する以前の頃だったんで、案外親父の言う事は的を得ていたと思う。
それはともかく、手術は怖い。自分はサーバー管理の仕事をしていて、よくミスってサーバーを壊したもんだが(まて)、医者がミスると死ぬわけだからな。ヒューマンエラーはどんなに注意しても防げない事は自分が一番よくわかっているし。
というわけで、以降は半年に1回やっていたエコーの検査もせず、医者からずっと逃げていたのだが、去年の大晦日にうっかり食べすぎてしまい、1日の晩に地獄の胆石痛になった。
これはもう観念して手術するしかないと思ったけど、病院は4日まで休みなので仕方ない。4日まで待ってから病院に行ったものの、市立病院は予約制。一番早くても診てもらえるのは1月10日だという。仕方ないので1月10日に予約した。
2019年1月10日、ようやく病院へ。しかし、1年以上すっぽかしていたために、病院では「初診」の扱いになってしまう。病院の「自動受付機」から出てきたレシートにも「初診」とか書かれてるし。
そしたら、看護婦が問診票を書いてくださいというので書いて出す。しかし「体温が書かれてないんですけど」といってつき返されてしまった。えー、体温計ごと渡したのに。まさか、自分で書かないといけないわけ??
しょうがないので体温計を見たら「E」って書いてある。「あの、Eって出てしまうんですけど」って言ったら「エラーになっちゃうじゃなくて」って言う。ハァ?じゃなくて何だよ。どう見てもEだろ。
そしたらしばらくして、看護婦が「じゃあもう1回渡しますので、今度はちゃんと書いてくださいね」って言う。なんかむかついたが、体温を測って書いて再提出した。
しばらくして、また看護婦が来て「今日は何で来たんですか?」って言うから、「1月1日にうっかり食べすぎてしまい、胆石痛になって」と言うと「でも今は痛くないんですよね?」と言うので「はい」と答えると、また「じゃあ今日は何で来たんですか?」と言う。
ハァ?今現在痛くないと来ちゃダメなわけ?だって、1日に痛くなっても4日まで病院休みだし、最短で予約しても今日だし。それとも、その間ずっと痛み続けてないと来ちゃいけないわけ??
いや、もうアッタマ来た。「帰ります」って言うと、看護婦が「ちょっと待ってくださいよ。なんで帰るんですか?」って言う。なので、「もういいです。先生に直接話しますし、先生はわかってますから」と言ったら、じゃあそれで良いって事になった。
いくら先生が1日に何百人も担当してるったって、先生のPCの画面にはこれまでの経緯が出るし、それを見ればわかるでしょ。今までの経緯の画面もなにもない場面で看護婦に1から説明するとなると、このブログの、今日のこのエントリーなみの長い説明になるけど、それでもいいわけ??
10時に順番が回ってきたので、先生に説明する。「すいません、今までずっと手術から逃げてたんですけど、1日に食べすぎて激痛になりまして、もう観念して手術するしかないと思いまして」
すると先生は「じゃあ、手術の方向で進めていきますけど、いいですね」と言う。よかった。先生は覚えてくれていた。いや、忘れてたかもしれないけど、前の人の診察が終わった後に、まずPCの画面でこれまでの経緯を見てから呼ぶんでしょうから、さすがにその時に思い出すでしょう。
その後、先生が「今日は採血、尿検査、エコー、レントゲンの検査を行い、15日に造影CT、18日に胃カメラを行います」と言う。えー、胃カメラ??胃カメラは前にやったじゃないの。なんでもう1回??
要するに、今回の腹痛の原因が胃がんや胃潰瘍の可能性もあるし、もしそうだったら胆嚢を切除しても治らない、つまり手術そのものが無駄になるので、という事なのだが・・・。
「いや、胃カメラだけは勘弁してくださいよ。胃カメラなしでどうにかならないもんですか?」と言うと、「じゃあ、麻酔かけますので」と言う。ううむ、麻酔かぁ。麻酔かけるなら、まあなんとか耐えられるかも??
というわけで、またしても胃カメラを飲まなければならない事になってしまった。あれだけは二度とやるものかと思ったんだけど。胆嚢の切除も怖いけど、怖いのはその日だけだから・・・と思っていたが、その前に胃カメラという、怖いものを我慢しなければならない事になってしまった。
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